ミスケン
概要
ACぷよぷよ通において伝説的プレイヤー。二代目ぷよ名人、元全一、82世代(?)
本名「三須健太郎」職業はエンジニア。
彼の名を冠する積みに「ミスケンGTR」がある。
ぷよらーとして
階段積み・鍵積みが主流の時代に現代ぷよに近いだぁ積みや後折りGTRに近い形を組み高い技術力でぷよぷよの一時代を築いた。
2019年momoken連戦祭では、後折り主体の定型にとらわれない柔軟性の高い積みを見せた。
備考
後述の浜ロンさんとKuroroさんの対談よりミスケンの当時の様子を抜粋
※以下敬称略
コンパイル時代のばよえーんツアーで優勝したミスケン。
Kuroroはその大会で彼の連鎖を見て驚愕した。現代では当たり前だが90年代当時ミスケンは既に「合体」という技術を使いこなしていた。
その後の1997年ぷよぷよ名人戦ではA・Bブロックに分かれて大会が進められた。
Aブロック通過プレイヤーの勝率は69%ほどだったが、Bブロックのミスケンはなんと95%(1敗)ちなみにくまちょむ氏は67%
決勝のミスケンは10-2や10-3などの圧倒的スコアで力の差を見せる。
エキシビションマッチでは第一回大会優勝の田中名人。しかしミスケンは技術力の差を見せつけ勝利。
ミスケン>>>田中名人>>>くまちょむ、Kuroro他
ぷよぷよの聖地東京の明大前で行われていたぷよ大会でミスケンがたびたび現れるようになった。※ミスケン氏は神奈川在住
Kuroroは「絶対にミスケンのプレイを見たほうが良い」とくまちょむと一緒にミスケンのプレイを観戦する。50円で2先の筐体で2時間ずっと勝ちっぱなし。大会開始の声かけでゲームが終了したので実質無敗である。
そこでミスケンのプレイを見たくまちょむもファンになる。
ミスケンを知ったKuroroは3年後。18才頃のKuroroは田中名人、くまちょむ、こばてつとともにミスケンを田中邸に誘う。
kuroroはミスケンと100先を行いその試合はビデオテープで記録。ダビングされまくり様々なプレイヤーに配られることとなる。
1999年に行われた試合↓
関連動画
2019年のmomoken連戦祭において最後の対戦相手となったミスケン氏
最近中々表舞台には立たなかった彼が配信でプレイを見せた貴重な動画である。
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